最近でこそおとなしくなってきたようですが、一昔前のサラ金は、とにかく恐い存在でした。
監督官庁がなかったのをよいことに、利用者の弱みにつけ込んでは法外な高利をつけ、それがいったん焦げついてしまうと、情け容赦ない取立てを行うのです。
早朝や夜中に玄関をバンバンたたくのは序の口で、勤め先に5分おきに催促の電話をかけつづけたり、直接職場までのりこんできては大声で返済を要求する。
その言い方は「ほとんど犯罪者扱いだった」と多くの被害者は語ります。
隣近所に貼り紙をしたり、なかには殴る蹴るの物理的な暴力をくわえる業者も少なくなかったのです。
困り果てた債務者が弁護士に相談したことがバレてしまうと、「片腕がなくなった弁護士もおるんやで」と脅し、弁護士の介入も阻止しようとします。
果ては債務者に若い娘がいたり奥さんがまだ若いと聞くと、ムリヤリにソープランドやキャバレーで働かせるという、いまとなってはドラマのような悲劇が現実の世界で繰り広げられていました。
こうしたか濃くきわまる返済の催促に耐えかねて、一家心中や自殺に追い込まれる例も日常茶飯事で、サラ金の行き過ぎた取立てに対する訴訟も後を絶ちませんでした。
サラ金の被害がピークをむかえた昭和58年には、7月から12月までの半年の間に、サラ金の取立てを苦にした自殺者が813人、家出人や蒸発者は7932人にものぼったといいます。
ここまで深刻な事態になって、ようやく国も重い腰を上げました。
まず最初にとられた対策は司法権による圧力です。
裁判になった場合、目にあまる高金利に対して、「この金利は不当に高いため認められない」という形で被害者救済が進められました。
しかしこれはあくまでも被害者が訴えを起こした場合にかぎられるため、その効果にはおのずと限界があったのです。
しかもアメリカのような司法社会の国では裁判所の判決が社会末端にいたるまで影響力をおよぼしうるのですが、日本ではそうもいきません。
とくに「裁判になれば金利はとれない」という法律論など、サラ金業者にはほとんど無視されつづけ、結果的に債務者にとってはかならずしも実質的な救済にならなかったのです。
そこで登場したのが大蔵省です。
昭和54年から国会でサラ金業者の規制に関する法案の審議が開始され、58年4月、岱8通常国会で、「貸金業の規制等に関する法律」と「出資の受け入れ、預かり金および金利等の取り締まりに関する法律」、いわゆる「サラ金規制法」をようやく成立にこぎつけたのです。
このサラ金規制法で大蔵省は、サラ金業者に一定の階級分けをすることで管理しようとしました。
登録業者制度を採用して、正規の業者とそうでない業者という2つのグループに色分けしたのです。
人間というのは不思議なもので、ほんの数日前までは名うての悪玉業者でならしてきた連中も、登録業者として正式に認められると、それだけで偉くなったような錯覚を覚えるのか、ヤクザまがいの荒っぽい態度がすっかり影を潜めてしまったのです。
しかし、登録業者にはそうでない業者にはない実利的な特典も与えられました。
利息制限法で定められている上限金利を超える金利をとれることです。
これは、非登録業者にくらべれば大きなメリットでした。
特典を与えたいっぽうでは、厳しい規制もつけられています。
たとえば、過剰貸付の禁止。
貸付条件の店内掲示義務。
契約内容・受取証書の交付。
先の金利面での優遇に関しても書面を交付していることが条件となっています。
なにより注目されるのは、悪質な取立ての禁止です。
さらに、サラ金業者の組合を組織させ、借りた人がここに苦情を申し立てれば、各業者と債務者の間に入って調整する制度もつくらせたのです。
このサラ金規制法が功を奏して、その後は一部の非登録業者をのぞいて悪質な取立ては影をひそめました。

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